先日、当ブログでもご紹介しました。唐津の大島邸。唐津市の意向で取り壊しになるかもしれません。実際に見学してみて、なくなってしまうのはとても残念だと思いました。
「大島邸を残す会」では、保存に向けての署名活動を行っていらっしゃいます。
以下、「大島邸を残す会」からの署名の呼びかけです。署名サイトはこちらから。
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平成22年度の大志小学校建て替えの為、唐津の遺産とも言うべき大島邸を取り壊すという唐津市の計画を今一考え直して貰うための署名です。
この大島邸とは明治初期から大正昭和と唐津の経済・産業・文化の表舞台で活躍された大島小太郎氏のお屋敷です。また、唐津の宗ヘン流の聖地と言うべき場所でもあります。この佇まいを残すことにより、唐津の格は保たれます。
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実は、北九州の旧高級料亭「三宜楼」も解体の危機にさらされていましたが、市民の保存運動により、保存が決定しました。(「三宜楼」は1930年建設で、当時、栄えていた門司港の社交場であった3階建て木造建築。高さ5mの石垣の上にたち、述べ床も1000平方メートルをこえて、木造としては大規模な建築です。)
4年ほど前に、建築士会で見学したいと申し入れしましたが、結局見学できませんでした。多分、その頃は保存運動が始まったばかりだったのでは・・・機会があれば、見学したいです。
という事例もありますし、大島邸も保存の方向にすすめば!と思います。
「大島邸を残す会」では、保存に向けての署名活動を行っていらっしゃいます。
以下、「大島邸を残す会」からの署名の呼びかけです。署名サイトはこちらから。
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平成22年度の大志小学校建て替えの為、唐津の遺産とも言うべき大島邸を取り壊すという唐津市の計画を今一考え直して貰うための署名です。
この大島邸とは明治初期から大正昭和と唐津の経済・産業・文化の表舞台で活躍された大島小太郎氏のお屋敷です。また、唐津の宗ヘン流の聖地と言うべき場所でもあります。この佇まいを残すことにより、唐津の格は保たれます。
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実は、北九州の旧高級料亭「三宜楼」も解体の危機にさらされていましたが、市民の保存運動により、保存が決定しました。(「三宜楼」は1930年建設で、当時、栄えていた門司港の社交場であった3階建て木造建築。高さ5mの石垣の上にたち、述べ床も1000平方メートルをこえて、木造としては大規模な建築です。)
4年ほど前に、建築士会で見学したいと申し入れしましたが、結局見学できませんでした。多分、その頃は保存運動が始まったばかりだったのでは・・・機会があれば、見学したいです。
という事例もありますし、大島邸も保存の方向にすすめば!と思います。
去る、19日土曜日に、唐津・旧大島邸の見学に行ってきました。
旧大島邸は、唐津銀行を創立した大島小太郎の実家であり、明治時代の政治や財界の舞台であった由緒ある建物です。大島小太郎の父、興義は御勘定目付を務めた人であり、旧大島邸は江戸時代の武家屋敷の名残を残す建物です。(建物は明治時代のもの。築年については、明治12、13年頃との伝承)
実は、この旧大島邸・・・唐津市の意向で、新年早々にも、取り壊されるらしい!それで、当日は、何とか保存できないか?と考える市民の皆さんの集会に、おじゃまさせていただいたというわけ。
↓大広間。格式ある書院造。多くの方が今後について話す為お集まりでした。
(あ、この写真は始まる前で、人がまばらですが、気がつくと広間に人が一杯!でした。)

↓付け書院の格子の細工。一事が万事、手の込んだ意匠です。

↓奥の茶室。これはすごい。

・・・拝見して、本当に立派な建物でした。連続する広間やその先に連なる茶室。(これが、かなり、すごい意匠です。)接客空間と北側の家族の居室の間に、中廊下的な畳の間があるのも面白いです。
解説をされた九州大学の藤原先生のお話にも、「真・行・草」を取り揃えた意匠とのお話があり、確かに!と頷かずにはおれません。
見学の後に、この建物は残すべきである。そして、どう活かしていくのか?といった議論がなされました。多くの市民の方々の熱い思いが感じられ、何とか保存できないものかと、思ったのでした。今後の動向が気になります!!
旧大島邸は、唐津銀行を創立した大島小太郎の実家であり、明治時代の政治や財界の舞台であった由緒ある建物です。大島小太郎の父、興義は御勘定目付を務めた人であり、旧大島邸は江戸時代の武家屋敷の名残を残す建物です。(建物は明治時代のもの。築年については、明治12、13年頃との伝承)
実は、この旧大島邸・・・唐津市の意向で、新年早々にも、取り壊されるらしい!それで、当日は、何とか保存できないか?と考える市民の皆さんの集会に、おじゃまさせていただいたというわけ。
↓大広間。格式ある書院造。多くの方が今後について話す為お集まりでした。
(あ、この写真は始まる前で、人がまばらですが、気がつくと広間に人が一杯!でした。)

↓付け書院の格子の細工。一事が万事、手の込んだ意匠です。

↓奥の茶室。これはすごい。

・・・拝見して、本当に立派な建物でした。連続する広間やその先に連なる茶室。(これが、かなり、すごい意匠です。)接客空間と北側の家族の居室の間に、中廊下的な畳の間があるのも面白いです。
解説をされた九州大学の藤原先生のお話にも、「真・行・草」を取り揃えた意匠とのお話があり、確かに!と頷かずにはおれません。
見学の後に、この建物は残すべきである。そして、どう活かしていくのか?といった議論がなされました。多くの市民の方々の熱い思いが感じられ、何とか保存できないものかと、思ったのでした。今後の動向が気になります!!
年越しも間近になって参りました。年賀状の準備も、大掃除もまだまだですが、手帳の準備はできております。
ここ4年間、毎年使っていた「ほぼ日手帳」。今年は、忙しいやら、何やらで、買いそびれてしまいました。ので、ノベルティの手帳でした。そのせいでしょうか、今年はスケジュール管理がイマイチだったような・・・(って、いいわけですね。
)
手帳も色々でていますが、やっぱり、「ほぼ日手帳」が使いやすいです。
来年用の「ほぼ日手帳」。友人から、譲って頂きました。

来年は忙しくなりそうな気配。ばっちり、スケジュール管理をしなくては!
ここ4年間、毎年使っていた「ほぼ日手帳」。今年は、忙しいやら、何やらで、買いそびれてしまいました。ので、ノベルティの手帳でした。そのせいでしょうか、今年はスケジュール管理がイマイチだったような・・・(って、いいわけですね。

手帳も色々でていますが、やっぱり、「ほぼ日手帳」が使いやすいです。
来年用の「ほぼ日手帳」。友人から、譲って頂きました。

来年は忙しくなりそうな気配。ばっちり、スケジュール管理をしなくては!
寒い夜。ろうそくのあかりに迎えられて、りんごろうそくは始まりました。
子ども達、一人一人が手にした、りんごろうそくに灯がともると、それは、それは、本当にそれぞれの魂の光が外界に現れたような気がして、優しい気持ちになります。
この静謐な穏やかな時間が、それぞれの心の中に沁みこんでいくのだろうと、思うのでした。
みなさま、ありがとうございました。
テレビ好きの娘もこの晩はテレビを見ず、帰りの車でも「CDを聞きたい気分じゃない。」と言って、静かに帰って、風呂に入り、眠りにつきました。静かな夜でした。
子ども達、一人一人が手にした、りんごろうそくに灯がともると、それは、それは、本当にそれぞれの魂の光が外界に現れたような気がして、優しい気持ちになります。
この静謐な穏やかな時間が、それぞれの心の中に沁みこんでいくのだろうと、思うのでした。
みなさま、ありがとうございました。
テレビ好きの娘もこの晩はテレビを見ず、帰りの車でも「CDを聞きたい気分じゃない。」と言って、静かに帰って、風呂に入り、眠りにつきました。静かな夜でした。
土曜日は校区のもちつきでした。今年は子ども育成の町内会長なので、お手伝いに行かないわけにはいきません。
当日は早朝から準備で、色々な方がこられていました。私は丸めたもちの袋詰め担当だったのですが、つき上がって丸めるまでは時間があったので、もち米の準備のお手伝いをしていました。
と、「ごめ~ん。誰か、桝でもち米ば、2升つづ、量ってやらんね~。」と言われたので、「あ、やりましょうか?」と応えたのが、いけませんでした。
気がつけば、7時半から2時間!!もち米を量り続けることに!
「他の人がしたら、量り方が違うといかんけん、同じ人がせんといかんとよ。」といわれ、一人、もち米と格闘。
校区の婦人会の方から、
「あ、もう、違おうが!桝は水平にする!」
「ほら、軽く盛ってから、すりきると!押さえつけたらいかんめーが。(押さえつけたらいけないでしょ。)」
「もっと、さばけんとね!はようせんね。」
「落ちたのは拾って!!」
と厳しい指導が。
「いい?!ここには、姑が何十人もおると思って、ちゃんとせんといかんとよ!
一回の臼で、丸餅が80個とれんやったら、文句がでるっちゃけん!
量る人がきちんとせんといかん!!」
・・・体育会系というか、いや~、勉強になりました。(良い嫁とは程遠い自分には、いい修行になりました。)
もち米を量り終った後も、蒸し器へのもち米セットをガンガンやって、終わったら、洗い物をガンガンやって、忙しかったです。(あ、暇がなくて、結局、餅は食べれませんでした。
)
要領の悪さを改めて自覚して、来年こそは段取り上手になろうと心に誓ったのでした。
↓8時前から、ガンガン搗いています。一般は9時集合なのでこの時点では人もまばら・・・

当日は早朝から準備で、色々な方がこられていました。私は丸めたもちの袋詰め担当だったのですが、つき上がって丸めるまでは時間があったので、もち米の準備のお手伝いをしていました。
と、「ごめ~ん。誰か、桝でもち米ば、2升つづ、量ってやらんね~。」と言われたので、「あ、やりましょうか?」と応えたのが、いけませんでした。
気がつけば、7時半から2時間!!もち米を量り続けることに!
「他の人がしたら、量り方が違うといかんけん、同じ人がせんといかんとよ。」といわれ、一人、もち米と格闘。
校区の婦人会の方から、
「あ、もう、違おうが!桝は水平にする!」
「ほら、軽く盛ってから、すりきると!押さえつけたらいかんめーが。(押さえつけたらいけないでしょ。)」
「もっと、さばけんとね!はようせんね。」
「落ちたのは拾って!!」
と厳しい指導が。
「いい?!ここには、姑が何十人もおると思って、ちゃんとせんといかんとよ!
一回の臼で、丸餅が80個とれんやったら、文句がでるっちゃけん!
量る人がきちんとせんといかん!!」
・・・体育会系というか、いや~、勉強になりました。(良い嫁とは程遠い自分には、いい修行になりました。)
もち米を量り終った後も、蒸し器へのもち米セットをガンガンやって、終わったら、洗い物をガンガンやって、忙しかったです。(あ、暇がなくて、結局、餅は食べれませんでした。

要領の悪さを改めて自覚して、来年こそは段取り上手になろうと心に誓ったのでした。
↓8時前から、ガンガン搗いています。一般は9時集合なのでこの時点では人もまばら・・・

週末に現場見学会を開催しました。先週はその準備に追われ、怒涛の一週間でした。もはや徹夜はできないお年ですが、気がつけば、連日深夜2時くらいまで働いていました。
・・・こんなことではいけない!やっぱり「早寝、早起き、朝ごはん」を実践して、健康に気を使わなくては!
現在、進行中の耐震補強工事が終了すれば、平常運転に戻れそうです。がんばって乗り切ろうと思います。
・・・こんなことではいけない!やっぱり「早寝、早起き、朝ごはん」を実践して、健康に気を使わなくては!
現在、進行中の耐震補強工事が終了すれば、平常運転に戻れそうです。がんばって乗り切ろうと思います。

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