大学生の時、ゼミで、謎掛けのように、先生から言われたことがあります。
『人が住む。という行為は、機能を全部、外に出していき、突き詰めると、ホテルでいいのではないか?
むしろ、機能が満足すれば、ホテルで十分で、敢えて、家は必要なのか?』
前段に、古くは、日本の住まいというのは、冠婚葬祭も住まいで行っていたのが、現代は、外部に切り離されていること。それに、最期の場所も多くは病院になっているし、生まれてくるのも病院で、現代の住まいは、ご飯を食べて、寝て、着替えて、入浴や洗面の機能があればよいとなれば、ホテルと同じだよね。という話があったのでした。
このことは、私の頭の片隅に、いつも残っていて、なぜ家を建てるのか?という、素朴な疑問に繋がっています。
というか、そういう、意味がある家を建てることができるのか?と自問しているのです。
(実際、著名な方で、ホテル住まいという人もいますし、それは、それで成立する話なのでしょう。)
ただ、最近思うのは、住まいという空間だからこそ、自分のテリトリー(領域)を確保しやすく、その場にいることで、自分を『ゆるめる』ことができるのではないか。ということ。
この『ゆるむ』ということが、様々な面で大事なことだと、感じているところです。
この話の続きは、また、今度。
『人が住む。という行為は、機能を全部、外に出していき、突き詰めると、ホテルでいいのではないか?
むしろ、機能が満足すれば、ホテルで十分で、敢えて、家は必要なのか?』
前段に、古くは、日本の住まいというのは、冠婚葬祭も住まいで行っていたのが、現代は、外部に切り離されていること。それに、最期の場所も多くは病院になっているし、生まれてくるのも病院で、現代の住まいは、ご飯を食べて、寝て、着替えて、入浴や洗面の機能があればよいとなれば、ホテルと同じだよね。という話があったのでした。
このことは、私の頭の片隅に、いつも残っていて、なぜ家を建てるのか?という、素朴な疑問に繋がっています。
というか、そういう、意味がある家を建てることができるのか?と自問しているのです。
(実際、著名な方で、ホテル住まいという人もいますし、それは、それで成立する話なのでしょう。)
ただ、最近思うのは、住まいという空間だからこそ、自分のテリトリー(領域)を確保しやすく、その場にいることで、自分を『ゆるめる』ことができるのではないか。ということ。
この『ゆるむ』ということが、様々な面で大事なことだと、感じているところです。
この話の続きは、また、今度。
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