去る、19日土曜日に、唐津・旧大島邸の見学に行ってきました。
旧大島邸は、唐津銀行を創立した大島小太郎の実家であり、明治時代の政治や財界の舞台であった由緒ある建物です。大島小太郎の父、興義は御勘定目付を務めた人であり、旧大島邸は江戸時代の武家屋敷の名残を残す建物です。(建物は明治時代のもの。築年については、明治12、13年頃との伝承)
実は、この旧大島邸・・・唐津市の意向で、新年早々にも、取り壊されるらしい!それで、当日は、何とか保存できないか?と考える市民の皆さんの集会に、おじゃまさせていただいたというわけ。
↓大広間。格式ある書院造。多くの方が今後について話す為お集まりでした。
(あ、この写真は始まる前で、人がまばらですが、気がつくと広間に人が一杯!でした。)

↓付け書院の格子の細工。一事が万事、手の込んだ意匠です。

↓奥の茶室。これはすごい。

・・・拝見して、本当に立派な建物でした。連続する広間やその先に連なる茶室。(これが、かなり、すごい意匠です。)接客空間と北側の家族の居室の間に、中廊下的な畳の間があるのも面白いです。
解説をされた九州大学の藤原先生のお話にも、「真・行・草」を取り揃えた意匠とのお話があり、確かに!と頷かずにはおれません。
見学の後に、この建物は残すべきである。そして、どう活かしていくのか?といった議論がなされました。多くの市民の方々の熱い思いが感じられ、何とか保存できないものかと、思ったのでした。今後の動向が気になります!!
旧大島邸は、唐津銀行を創立した大島小太郎の実家であり、明治時代の政治や財界の舞台であった由緒ある建物です。大島小太郎の父、興義は御勘定目付を務めた人であり、旧大島邸は江戸時代の武家屋敷の名残を残す建物です。(建物は明治時代のもの。築年については、明治12、13年頃との伝承)
実は、この旧大島邸・・・唐津市の意向で、新年早々にも、取り壊されるらしい!それで、当日は、何とか保存できないか?と考える市民の皆さんの集会に、おじゃまさせていただいたというわけ。
↓大広間。格式ある書院造。多くの方が今後について話す為お集まりでした。
(あ、この写真は始まる前で、人がまばらですが、気がつくと広間に人が一杯!でした。)

↓付け書院の格子の細工。一事が万事、手の込んだ意匠です。

↓奥の茶室。これはすごい。

・・・拝見して、本当に立派な建物でした。連続する広間やその先に連なる茶室。(これが、かなり、すごい意匠です。)接客空間と北側の家族の居室の間に、中廊下的な畳の間があるのも面白いです。
解説をされた九州大学の藤原先生のお話にも、「真・行・草」を取り揃えた意匠とのお話があり、確かに!と頷かずにはおれません。
見学の後に、この建物は残すべきである。そして、どう活かしていくのか?といった議論がなされました。多くの市民の方々の熱い思いが感じられ、何とか保存できないものかと、思ったのでした。今後の動向が気になります!!
「大島邸を残す」で検索しましてここにたどり着きました。
当日はお寒い中唐津まで足をお運びいただきありがとうございました。
遅まきながらネット署名が出来るように致しました。
ご賛同いただける方々へお声かけのほどよろしくお願い申し上げます。
当日はお寒い中唐津まで足をお運びいただきありがとうございました。
遅まきながらネット署名が出来るように致しました。
ご賛同いただける方々へお声かけのほどよろしくお願い申し上げます。
camelc | URL | 2009-12-26-Sat 20:22 [編集]
ご訪問ありがとうございました。
大島邸を壊すのはとても惜しいと思います。
微力ですが、署名させて頂きます。
> 「大島邸を残す」で検索しましてここにたどり着きました。
>
> 当日はお寒い中唐津まで足をお運びいただきありがとうございました。
>
> 遅まきながらネット署名が出来るように致しました。
> ご賛同いただける方々へお声かけのほどよろしくお願い申し上げます。
大島邸を壊すのはとても惜しいと思います。
微力ですが、署名させて頂きます。
> 「大島邸を残す」で検索しましてここにたどり着きました。
>
> 当日はお寒い中唐津まで足をお運びいただきありがとうございました。
>
> 遅まきながらネット署名が出来るように致しました。
> ご賛同いただける方々へお声かけのほどよろしくお願い申し上げます。
| ホーム |