果たして、孤風院はそこにあった。主である木島安史先生が亡くなられてからも、そこにあり続けている。
私が孤風院を訪れるのは、18年ぶりのことである。当時、熊本大学の学生であった私は、卒業論文を木島先生にご指導頂いた。木島先生は、熊本大学の教授でありつつ、全国的にも著名な建築家であり、カリスマ的存在であった。残念ことに、私が大学院へ進学した年に、木島先生は熊本大学を去られ、先生にご指導頂いた最後の学部生になってしまった。それでも、先生はいくつかのプロジェクトを九州に抱えており、比較的往来があった。その為、千葉大学に移られたあとも、先生に何回かお会いすることができた。先生が亡くなられたのは私が大学院2年の時で、知らせを聞いた日のことを忘れることはできない。

孤風院は、もともと熊本大学の前身である熊本高等工業学校の講堂であった。老朽化などを理由に解体される予定だったが、木島先生が買取り、現在の阿蘇の敷地に移築したものである。昭和51年のことである。移築した孤風院は、講堂から住宅へと用途を転換し、木島先生の自宅兼アトリエとして使われていた。
私は、在学中に孤風院を数回訪れている。(正確な回数は、記憶が曖昧である。)卒論に関連した、イスラーム都市の航空写真の分類の為に泊り込んだり、学会のあとに全国からお越しになった先生方をお招きしてレセプションを開いたり、研究室のバーベキューの会場でもあった。

18年振りに訪れた孤風院は、私の記憶となんとなく違っていた。外観は、さほど変わりなかったが、中に入った時に、あれ?こうだったっけ?と、ふいをつかれた感触だった。
丁度、久しぶりに実家に帰ってきて、この家こんなに小さかったっけ?と思うような、記憶とのずれをあぶりだされたような感じであった。
ひとまわりしてみると、二階の和室の2間は、ほぼ、当時と同じであったし、ダイニングやキッチンは、まさしく先生とご一緒に料理を作ったり、食事をした空間そのままだった。
しばらく、もともと講堂であった建物中央部分の広間に佇んでいると、あぁ。そうか。と気が付いた。広間が明るいんだ・・・
広間の床は落ち窪んでいる。確か、解体の際、床板の破損などで材料が不足し、土間のままとされていた。その土間は暗くて、落ちていることからも、何となく、吸い込まれそうだった。
私の印象では、建物中央の広間は生活臭があまりなかった。周囲の取りついた部分に、ダイニングやキッチン、サニタリーや寝室といった機能が納まり、本来の講堂部分である広間は特定の機能がない、日常生活とは分離された独特の空間であったように思う。
正方形の形状であることと、広間を通らずに回廊を利用して、ダイニングや寝室に行くことができるため、日常性が感じにくかった。
土間であったことと、窪んでいたことが、更にそう感じさせたのだろう。
木島先生自身も著書のなかで、次のように書かれている。
「小部屋を増やした原因を考えてみると、その空間に何か性格を与えようと考える以上に、むしろ講堂の基本的な空間をできるだけ温存したいために、倉庫や何かの目的で設けたといえる。」
つまり、中央広間は、基本的な講堂空間を温存するように設え、また、そのように使われていたのではないかと思う。その中で、広間の土間の暗さというのは、非日常と日常の境界線の役割を持っていたのではないか。
私の記憶と違い、今回訪れた孤風院の広間は、床が大理石に変わっていた。また、広間の窪みには、周囲を囲むように、腰掛けることができるステップが取り付けられていた。壁は漆喰が塗られていた。
これらの変更により、中央広間の雰囲気は、明るく、清廉な感じになっていた。
そして、広間とその周囲の回廊の分断された感じがなくなり、空間の一体感が増したように思えた。特に、床の大理石の光沢により、従前の暗く吸い込まれるような感覚はなくなっている。
むしろ、窪み部分を反発するような、押し上げるような感じがする。
現在の孤風院は住宅というより、オープンハウス・ゼミナール・ワークショップの場所であり、多くの人が集う器となっている。(無論、先生が存命の折も、多くの人が集う器であったが、住宅という意味を持っていた。)
広間と回廊の一体感は、ワークショップを行うには、最適な環境であるよう思えたし、実際、機能している。
多くの人の学びの場、ワークショップの場、集いの場としての役割を忠実に果たすため、孤風院は進化している。「建築は生きている」のだな・・・と思わずにはいられない。
そして、亡くなられたあとも、求心性を発揮し、多くの人に建築教育の場を与え続けている木島先生の存在の大きさを改めて感じたのであった。

今回、孤風院を尋ねる機会をあたえて下さった九州大学藤原先生、孤風院の会の高木先生には深く感謝する。
できの悪い学生だった私は、孤風院を再訪することに若干のためらいがあり、長年、向き合ってこなかった。が、今一度、木島先生の「思い」を見つけることができた気がする。
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